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岩本彦之焏教授教授最終講義録,業績集並びに退任記念論文集
(東京女子医科大学耳鼻咽喉科学教室編)より転載

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司会: 岩本教授には本年定年退職ということで本日を迎えられたわけですが、最終講義のテーマは、先生のライフワークともいうべき「喉頭癌治療の変遷について」であります。ご静聴をお願いします。

岩本: 本日は私の最終講義でありますから皆さんと談笑のうちにお話しできればいいのですが、やはり少しかたい話になりそうです。
喉頭は人間の社会生活にとって一番重要な発声器官であります。この喉頭に癌ができた場合に、もし手術でもするということになると、治っても後で声が全然出なくなるのではないかということが、一番患者にとっては重大な不安だろうと思うのです。昔、われわれが九大におりました頃は「声が出なくなるよりは死んだ方がましだ」と言って家族や医者を困らせ、転々と医者を変えて、再び舞い戻った時には、 もう既にinoperableになっていたというような例がよくありましたが、最近はこういう例は非常に少なくなっております。
本日は最初に喉頭癌の治療の後で声がどのように変わるかということを皆さんにお見せしたいので、私たちが治療をしました方々6人、東京近辺に住んでおられる方に来て頂きまして、 1人1人声を出させて皆さんにご披露させたいと思います。


第1例:中垣某

中垣: 私はいまご紹介にあずかりました中垣でございます。横浜に住んでおりまして昭和49年7月にどうものどがおかしいというので、横浜の私の町内におります耳鼻科の先生に診て頂きました。ところがやはりどうも普通じやないというので、横浜の市立大学病院にまいりまして、あそこで放射線療法を受け、それからあっちこっちへ行って最後に女子医大に来て手術を受けたわけであります。手術を受けてから約3年と6ケ月がたっております。その間しばしば通院致しまして、異常のないことを確かめ、安心してその都度帰宅しておりました。
ちよっと話が横道に外れますが、昨年8月無喉頭者の世界大会がアメリカのロスアンゼルスでありましたときに私も誘われました。全世界には相当喉頭癌の患者があるということを知ったわけでございます。そういうわけで、ようやく社会に復帰できましたということは、岩本先生以下皆さん方の手厚い治療によるものと深く感謝を致しております。また本日はこの席に出席して一言申し述べる光栄に浴しまして、誠にありがとうございました。


岩本 この方はいま食道発声という方法でお話になったのであります。急にこんなに沢山の人の前でお話しになったので、多少上がって、はっきりしない点があったかと思います。いまこの人は食道発声の初段だそうです。結局横浜市大で6600Rの放射線を受けて治らないので、われわれの所に来て喉頭の全摘出をやったのです。ですから今は前頸部のこの孔から呼吸しているわけです。 これをtracheostomaと言いますが、ただこの場合、注意しなければならないのは、お風呂なんかに入って、あまり首までつかると水が肺の中に入っちやうので、その点は注意するように言っておかなくてはなりません。
食道発声というのは、喉頭全摘後の発声法としては良い方法です。私これで思い出すのは、現在の佐世保の市長、辻一三さんのことです。この方も喉頭癌のため初め放射線をかけたけれども治らないで現職中に喉頭全摘を受けたのです。市長ですからいろいろ話さなければならないというので、食道発声を非常に熱心に練習されました。そして現職を終って第2期目にもまた立候補して選挙演説も食道発声でやって、見事に当選し、第3期も当選されました。食道発声に上達するには、 そういう意志の力、年齢的な関係などが関与し、誰でも100%できるというわけではないけれども発声できるようになれば非常に楽なわけです。 NEIGHBORHOOD ダウン

岩本:  小宮山さん、いまお年はいくつですか。

小宮山:80才です。

岩本: 何年前に女子医大にいらっしやいまして、手術を受けられましたか。

小宮山:ちようど10年前の70才の時です。

岩本:  そうするとl0年になるわけですね。

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岩本:  それ以来ずうっとその笛を使っておられるのですか。

小宮山:小宮山 そうです。

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小宮山: お陰さまで、岩本先生に手術して頂いてからずうっと何ともなく、丈夫で10年もたちましてありがとうございます。

岩本:  あなたは笛を幾つ持っていますか。

小宮山: 笛は3つ持ってきました。いろいろ違うんですよ。

岩本:  他の笛に替えてみて下さい。

小宮山: こちらの笛はちよっと具合がよくないです。で自分で直すんです。この間買ってきたのも……。

岩本:  もう1つあるのですか、それ使って話してみて下さい。

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岩本: こういうふうに人工喉頭というのは、初め慣れないと男でもソプラノのような声を出したりしますが、だんだん自分で工夫してよい音色にしているようです。ここにゴムが張ってあるのですね。このゴムの大きさ、あるいは張り具合でいろいろな声が出るのです。患者さんが自分で工夫して、だんだん自分に合ったような声にしていくようです。

小宮山:そうなんです。それが一番いいと思います。

岩本: 喉頭癌は男と女では非常に罹患率が違い、男と女の比は大体10対1ぐらいと言われています。あなたはめったにかからない女なのにかかって、運が悪かったですね。

小宮山:そうですか。

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岩本: この方は喉頭だけでなくて、下咽頭、頸部食道の癌でございまして、非常に進んだ癌でありまして、喉頭も、下咽頭も、頸部食道も全部取ってしまったわけです。 そしてD‐P flapすなわちdeltopec‐toral flapで食道下咽頭を再建したのです。そういうわけで、この例は食道がskin tubeで作ってありますから、粘膜のように伸縮性がないために食道発声は難しいだろうというので、現在はelectrolarynxを使っております。
あなたが一番最初に大学に来られたのは何年ですか。

岩本: 昭和48年です。

岩本:それで初めはやはり放射線を受けたのですね。

中台: ええ、2ケ月放射線を受けました。

岩本:7000Rぐらい受けましたね。

中台: 7200Rです。

岩本:それで治らなかったので手術をしたわけですね。

中台: ええ、放射線で一時治ったのですけれども9月頃からおかしくなって、それで先生に診てもらって、 10月30日ですか。手術して頂いたのです。

岩本:手術をした後は日から全然食物が通らないから、食物はどこから入れましたか。

中台: お腹から。

岩本:この方は胃瘻を作ってもらって、そこから暫らくの間は食物を入れたわけですが、今はもう自由に飲み込めますね。

中台: ええ、今は大文夫です。

岩本:もう手術してから3、4年になりますから、再発の危険は恐らくないと思います。こういうふうに後でも話しますが、非常に進んだ癌でも治る場合があるかと思うと反対に非常に初期の癌でも再発するということがありまして、その人の運命というか、あるいは治療の仕方によって非常に運命が分かれてきます。


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岩本:この方は中山メディカルから紹介された患者さんでございますが、はじめcarcinoma in situという診断で、microsurgeryとコバルト療法をやりましたが、4年後に再発しましたので、hemilaryngectomyをやった例です。参考のため何かお話しになって下さい。

川口: ただ今ご紹介を頂きました川口でございます。諸先生を前にして高い所からご挨拶をする失礼をお許し願いとう存じます。私の病状の経過でございますが、昭和45年の夏頃から声が心もちかすれるような感じが致しまして、中山恒明先生を通じまして、岩本先生に手術をお願い致しましたところが、すぐ切った方がいいということで、その年の9月に第1回、切って頂きました。
それから2年ほどよかったのですが、48年の9月にまたどうも声がかすれるということで、その間にもずうっと先生に診て頂いていたのですが、もう一度切ってみようということで、切って頂きました。その2回目のときにはコバルトの照射も受けました。
それで50年の10月にやはり右側の声帯を取らなければいけないということで、切って頂いて今日に至ったわけでございますが、先生から前の日にどうしても切ると言われたとき、私は非常に多くの人と接触する機会を持つ商売なものですから悩みましたが、先生を信頼申し上げまして切って頂いたお陰で、現在こうして何ら支障を来たすことなく、商売にも何らマイナスにならずに元気で社会生活を送らさせて頂いております。本当に先生ありがとうございました。
なお、どうしても今日は先生にお礼を申し上げたく、今回、先生は功成り名をとげられて大学を去られるそうでございますが、私たちのためにも、また人類の健康のためにも、先生がいつまでも長生きされまして、ご自愛の上、元気で私たちを診て頂けるように、ご天職を全うされることをお願い致しまして、私の感謝の気持に代えさせて頂きます。どうもありがとうございました。

岩本:この方は中山メディカルで中山先生が「お前ぐずぐずしないで早く全部取ってしまえ」と何回も言われたそうです。ですが片一方の声帯だけの癌で全摘するのは惜しいですから、片方の声帯は残して、いわゆる半側切除術をやったわけであります。ですから声は頃れておりますけれども、社会生活には不安と困難はそうないと思います。片一方の声帯を取ったときにはこういう声になるということは、患者にあらかじめ言っておかなければいけないですね。


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小野沢: 私がこちらにお世話になりましたのが、昭和44年でございまして、最初外科の方に行きました。なぜ外科に行ったかといいますと、私はリンパ腺がはれたのです。8月頃からリンパ腺がはれて、どうしても引っ込まないので、近所の内科の医者に行ったところ薬を飲んでも治らないから、あなたは外科に行って診てもらいなさいと言われ、それで近所の外科に行ったのです。
ところがペニシリンを打って1月たっても何らリンパ腺は引っ込まないのですね。そこの先生が慶応大学を出たものですから、紹介状をくれまして慶応大学に行って診てもらったところが、慶応大学ではリンパ腺を取ればいいんだと、こういう話だったのです。たまたま私の息子の嫁が女子医大の新館の薬局に勤務しておりまして、相談しましたら、うちの病院の方が立派な先生がいるのだから、こちらで診てもらったらいいだろうと言うので、外科に行きました。
こちらの外科では太田教授と倉持先生が担当で、12月1日にリンパ節の手術をしまして、8日になりましたら何でもないということでした。最初手術をする時は、年を取ると頸部結核ということがあり得るというので調べたところが、それがなかったわけです。8日の日に耳鼻咽喉科に看護婦さんに連れて行かれて、最初は熊谷先生と大沢先生が診て下され、少し待ちなさいと大分待たされまして、岩本先生が診てくれまして、
「あなたはポリープができているのだから、耳鼻科に移りなさい」といわれ、その日に病棟を変えて耳鼻咽喉科に移ったのでございます。それで12月12日にまた手術をされまして、お陰さまで45年1月19日に退院できたのです。
1月5日頃受持ちの熊谷先生が「あんたは調子がいいんだから岩本先生に診てもらってなるたけ早く退院してくれ」とこういうわけだったのですが、家にいたってしようがないんだからと、看護婦の部屋にカレンダーがありまして、それを見るとどうも好い日がなくて、 19日がちようど大安だったから、熊谷先生に「19日まで置いて下さいよ」とお願いして19日に退院しました。その後は月に1回ずつ来たらいいだろうと言われまして、診察して頂き今日になったわけです。お陰さまで丈夫にならせてもらいまして、ありがとうございます。

岩本:この方は声門上癌と言って、carcinomaがepiglottisと仮声帯にあったのです。そして両側の声帯は正常だったので、両側の声帯は残してそれより上方のepiglottisや仮声帯を全部取ったわけです。
この手術法を声門上水平切除術と言います。両側の声帯が残っているから割合に音声ははっきりしております。ただepiglottisは物を飲み込むときに喉頭に蓋をして、気道の方に物が入らないようにする作用があるわけですが、これを切除したために最初は多少誤嚥を起こしましたが、しかしすぐ治って、現在もう9年になっていますから、立派に治ったと思います。


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加藤: 私、加藤と申します。大変岩本先生にご厄介になりましたが、私の病気の初めの診断につきましては、私は昼飯に弁当を持ってまいりまして、その弁当の中に魚のカマスが入っていたわけですが、そのカマスがのどにつかえまして、非常に痛いものですから日本橋の診療所に伊藤先生がいらっしやいまして、伺って、のどが痛くてしようがないのですがということでお尋ねしましたところ、ちよっと診て頂いたらば骨はご飯と一緒に下に落ちたんだろうと、こういうお話で何ともないといわれました。
その時の印象ではもう1年ぐらい前からのどの具合が非常に悪くて、せきが非常に出ることと、痰が出ることと、電話や何かで話をしていて二言三言交わすと後は声がかすれてしまう、こういう症状が1年くらい前からあったのです。その時には伊藤先生には、半年ぐらい前からそういう現象があるので、もう1回その点がどうだか自分としても不安だから診て下さいと申し上げました。なお精密に診て頂いたところが、あなたは大きな声を出したり、話しても二言三言話をするというと、後は声がかすれちやって、声が出なくなっちやうと、こういう現象なんですということを申し上げまして、なお診て頂いて、これは精密検査の必要があるから、早速私が病院をご紹介するからすぐ行って下さい、明日の朝早く行って頂きたい、というお言葉がありまして、そしてその翌日、東京女子医大へ同ったわけです。
そしていろいろ検査をした結果、 12月の初めでございましたのですが、その日の午後になりまして、岩本先生の最終決断で、「あなたは癌ですよ」と、こう言われたわけです。
私は癌についてのお話を友だちやその他諸先輩からいろいろ聞いておりましたので、癌といっても手術をすれば治るというくらい簡単に直感しておりましたので、さして鷲きはしませんでしたが、むしろ家族の者が驚いたような次第でございました。しかし、岩本先生のご診断の結果は、癌であるからということで、すぐ入院しなさいといわれました。但し、癌でも非常に初期だから、恐らくコバルトで治るのではないかと、こういうご宣託がございまして、ひとまず安心したような次第でございますが、すぐ入院の手続きを執って下さいまして、そしてその日に入院をしまして、例のコバルト療法で約2ケ月間入院致しまして6260R照射されました。
その治療の結果が今日の通りいささかも間違いがなく、こういうふうに立派に治ゆしたような次第でございます。ちなみにその年度は46年12月に入院致しまして、現在は6年間パーフェクトに治っておりますから、まずもって安心だというふうに自分は確信しているような次第でございます。


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岩本:今いろいろな患者さんの声を聞きましたが、やはり放射線療法、それから両側声帯を残した声門上水平切除術をやった例が一番声は良いですね。それなら放射線療法だけを全例にやればいいんじやないかと思うかもしれませんけれども、放射線療法にはやはりある程度の限界があるのです。

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図1のように一側声帯のみに限局して、声帯の運動障害がない、あるいは多少運動障害があるような、いわゆる初期の喉頭癌は放射線療法の適応例であって手術する必要はないのでございます。しかし、何事にも例外というものがございまして、非常に軽度のものと思っていても、後で再発することがあります。私達が放射線療法を行った40例の内、初期のTl NO MOの4例は1年以内に再発しました。
反対に手術は無理だというような非常に進行した癌が、放射線療法で2人ほど治っております。 いずれにしても癌というものは、一見治ったように見えましても、いつ再発するか分からないから少なくとも5年間はfollow‐upが非常に重要でございます。ですからわれわれは癌の治療をした後は、少なくとも最初の半年は月に2~3回、次の半年は月に1回、2年目は2、3ケ月に1回、3年を超えたら1年に1~2回ぐらいは検診を受けるようにすすめているのであります。
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図2は声門癌です。図3は声門上癌で、epiglottisの後面に大きな癌ができています。このような部位に原発した癌も時を経るに従ってその部位からだんだん広がっていきます。この広がりの程度を表わすには、現在はTNMシステムというのが使われています。
Tは原発腫瘍を表わしてTlS、Tl、 T2、T3、T4に分けます。TlSは上皮内癌です。Tlは1部位に限局して、声帯の運動が正常なものですね。T2は2部位以上にまたがっておりますけれども、声帯の運動そのものは正常或は多少障害されている程度のものです。T3は腫瘍が喉頭腔内に在って声帯が固定して全然動かなくなったものです。T4は喉頭の限界を越えてsinus pyriformisあるいは舌根部、皮膚等に進んでいるものです。
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次に私が喉頭癌の研究をどういうふうに展開していったかということを申し上げたいと思います。私事で非常に恐縮ですが、私は昭和12年3月に九大を卒業しまして、半年ばかりで軍隊に引っ張られました。そうして北支に6年間おりまして、昭和18年6月にやっと内地に帰りました。6年間耳鼻科を離れていたので、もうすっかり忘れてしまって最初からやり直すつもりで、また耳鼻科に入りました。
当時は戦争中で元気な者は皆軍隊に召集されまして、医局員もたった6、7名でしようか。この中には本学の私の前任教授の窪敦子教授もその当時九大に来て勉強しておられました。当時私は1人で30人近くの患者を受け持ち、私は新婚時代でございましたけれども、夜の9時前に家に帰れるというようなことはほとんどありませんでした。その上にまた「お前いつ召集が来るかわからんぞ」というのでprofessorが、早く研究をして学位論文を書けと、尻をたたくのです。それで非常に努力をしましたが、その頃、物資不足でパンツがないわけです。私は軍隊のくせもありまして、ふんどしをはいておりまして、暗い夜道を非常に急いで帰ったものですから、ふんどしのひもがいつの間にかほどけて、帰って着換えをしてみますとふんどしがないんですね。
それでズボンをひっくり返したりして探したがどうしても見つからない。翌朝同じ道を通ったら、やはり朝露にぬれて長々と道に落ちておりました。その日の帰り道に見たらもうないんですね。誰かやっぱり拾ったんだろうと思いますが、そういうふうに頑張りまして、昭和21年6月即ち2年9ケ月後に「術後性頬部嚢腫」という論文で学位を得ました。そうしてその年の暮れに助教授になったわけです。そういうふうで振り返って見ますと本当に喉頭癌の研究に取りかかったのはその後でございました。
私の喉頭癌の研究には今日までに3つの大きな転換があったと思います。

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これは昭和28年9月までの期間であります。その当時、私の恩師の笹木教授、この方が非常に熱心でございまして、私が戦地から帰った頃、盛んに喉頭癌の手術をして、私はよく助手をやらされました。
当時は抗生物質はありませんし、全身麻酔もなかった時代ですから、よく後で術後感染を起こして、頸部に痩孔を作って唾液などがどんどん頸部に流れ出るというような状態でありました。笹木教授は痩孔を何とかして作らないようにしようというので、手術は非常に慎重でした。たいてい朝9時から始めて、途中で昼飯を交代で食べて、午後2、3時頃まで、大体、 5~6時間かかりました。私は現在1時間足らずで手術を終っているのですが、その当時の抗生物質のない時代は、どんなに喉頭癌の手術が難しかったかということがおわかりのことと思います。
昭和26年に笹木教授は自分の手術した例が100例になったところでその業績を買われて「西日本文化賞」というのを受賞なさいました。そして同時に「図解喉頭全摘出術」という本を出版しました。この木が出ましてから、日本の各大学で喉頭癌の手術が盛んになったように思うのでありまして、そういう意味では笹木教授はわが国の喉頭癌手術の草分け的な存在であったと、私は今でも思っております。
私はその当時は、先生が手術した例の再発状況なんかを調べておりました。その際、非常に進んでこれはとても助からないというような例が全治していたり、あるいは非常に初期の癌で、これだったら絶対に助かると思うような例が再発死亡を起こしたりするのに非常に疑念を持ちまして、これは何か癌の細胞の性状によるのではないかということをまず考えまして、喉頭癌の組織学的悪性度という研究に取りかかったわけです。それまでは耳鼻科で悪性度の研究をした人はいませんでした。
組織学的悪性度というのは癌組織の分化部と未分化部の相対的な、量的な割合で悪性度を分けるのでありまして、分化、未分化の具体的基準としては角化の程度、細胞間橋の有無、核分裂像の多少などを重視して悪性度を1度から4度に分けました。すなわち分化部が75%以上を1度、50%以上を2度、25%以上を3度、25%以下を4度としました。そして160例について悪性度と再発との関係を調べてみました。

表1:悪性度と再発の関係

そうしますと表1のように確かに悪性度が高くなるほど再発率は高くはなっておりますけれども、各度間の再発率の差というのは10%から20%ぐらいで、余り私が期待したほどはっきりした結果が見られなかったのです。
その頃ちようど、九大の病理の今井教授が胃癌の発育型と予後との間に非常に密接な関係があるということを言い出しまして、この研究で今井教授は朝日文化賞を受けたと思いますが、この今井先生の方法を喉頭癌に応用して見たのです。すなわち、喉頭癌を無簇出型(nOn‐sprOuting type)と簇出型(sproutingtype)に分け、簇出型を更にその程度によって1度から3度くらいに分けて予後との関係を見たのであります。
無簇出型というのは割合に分化した癌細胞が大きな胞巣を作って、いわゆる発育先端部が滑らかで、芽を出していないものです。sproutというのは芽を出すということです。芽が無い、こういうのを無簇出型と言います。簇出型というのは発育先端部に、いわゆる割合に低分化性の小さい癌胞巣が間質内に広がっているもの、あるいは、癌胞巣を作らないで、個々の細胞が燎原の火のように無反応に組織の中に浸潤しているものです。最初は無簇出型、あるいは、簇出型の非常に低い癌でも末期になり死亡するときには非常に高度の簇出像を呈してきます。ですからわれわれが手術をしたときの標本と死んだときの標本を比べますと、非常に組織像が違っているのであります。
簇出型の異型としてリンパ管内蔓延型というのがあります。原発巣からかなり離れた所のリンパ管内に癌が入っているもので、これは非常に予後が悪いのでありますから、 こういう組織像を見たら、 これは警戒を要します。2年前にも大阪の会社の幹部の人がやはり喉頭癌で来まして、その組織を見ましたところがリンパ管内蔓延型を呈しておりましたので、予後が悪いと考え、術後放射線を充分かけましたが、やはり1年後には癌性肋膜炎で死亡しました。

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簇出度と再発との関係を見ますと表2のように簇出の無い例には再発がゼロです。しかし、簇出が高くなるに従って再発が飛躍的に高くなっております。ですから、今井教授の方法が先程述べた悪性度の問題よりも非常に予後判定には役立つ、ということを発見したわけです。
次に粘膜面が正常であるに拘らず癌が粘膜下に拡がっている可能性が考えられますので癌の粘膜下進展度をしらべてみましたところ、 平均5.6mm、 最高14.5mmでありました。このことから手術の際は癌の肉眼的辺縁から15 mm以上離れて摘出する必要があることを明らかにすることができました。
ところで、こういう研究をするためには、どうしても癌の一部だけの切片検査では具合が悪いので、喉頭の全割標本を作らなければならないわけです。ところが、私の恩師の笹木教授は、喉頭の標本を非常に大事にしまして、1つ1つ標本瓶に納めて、標本棚にずらっと飾って見学者などが来るとそれを見せて誇りにしていた様子でした。それを私が切り取ってしまったものですから、後で笹木教授がそれを発見しまして
「おれがあんなに大事に保存して置いた標本を誰か見る影もないょうに切ってしまったやつがおる、実に怪しからん」と言って医局に来てかんかんに怒るんです。私はその頃、鼻息も相当荒かったものですから
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と言いましたところが、さすがのprofessorも「う一ん」とそのまま黙ってしまいました。
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宿題報告をするとなるとやはり手術も自分でやって見ないといけないと思いましたので教授の所に行って「今後、暫らくの間は手術は全部私に任せて下さい、先生の手術は大分変える必要があると思いますから、変えるかもしれませんが承認して下さい」
と言いましたら、そんならいいよ、というので快よく承認して頂きました。
その頃から教授はだんだん健康を害しまして、手術も次第にできなくなり、病勢は日増しに進んで私としては3年間ほど教授の健康を非常に心配しておりましたが、とうとう58才の若さでパーキンソン氏病で亡くなられました。
それに先だってprofessorが手術した172例の再発状況を調べて見ましたところが、再発死亡例が53例、他の病気で死亡した人が11例、5年生存例が108例で、5年生存率は約63%でありました。再発部位を見ますと、 頸リンパ節が最も多くて31例、気管断端が12例、下咽頭、舌根が6例、遠隔転移が4例でした。この内、遠隔転移はしようがないとしても、 リンパ節再発とか、気管断端再発とか、下咽頭、舌根再発は喉頭の近傍におこるわけですから当然われわれとしては、これらの再発を予防する方法を考えなければならぬわけで、次の中期ではその研究に移ったわけであります。

DJI OSMO POCKET オスモポケット セット この期は昭和28年10月から昭和34年末まででございまして、この間はほとんど私が手術しました。まず、頸リンパ節の再発をどうして防ぐかということを最初に取り上げました。恩師の手術時代はリンパ節が外部から触れないような場合には全然それに手を付けないで、喉頭だけを摘出していましたし、リンパ節がもしはれているような場合には、そのリンパ節だけを芋を掘るように取っていたものでございました。
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私は文献を見まして、これは良い方法だというので昭和26年の頃からこの方法を行いまして、 日本で初めてradical neck dissectionの症例とその解説を発表しました。radical neck dissectionというのはただはれているリンパ節だけを摘出するのでなくて、胸鎖乳突筋、内頸静脈、副神経、及びこれらに沿うすべてのareolar tissueいわゆる脂肪組織とか、リンパ系統結合組織をen blocに全部一塊として摘出する方法でありまして、ときには唾液腺まで取ることもあります。だから手術創に残されるものは頸動脈、迷走神経、横隔膜神経、舌下神経ぐらいが露出されている状態にするのであります。しかも喉頭と連絡したまま喉摘と同時に行うわけです。
この頸部郭清術は予防的頸部郭清術と治療的頸部郭清術に分けられます。予防的というのはリンパ節が外部から触れないけれども、あるいはもうlatentのmetastasisがあるかもしれないというので頸部郭清術をやる場合であります。治療的というのは、明らかに術前にリンパ節が触れるような場合に行う郭清術であります。予防的郭清術の場合には、私は内頸静脈は保存しております。内頸静脈を保存する場合は保存的頸部郭清術といいます。いずれの場合も常に喉頭と連絡した一塊として採り出すということが要点でございます。
頸リンパ節が腫脹していない場合、外部から触れないような小さなリンパ節に実際にlatentのmetaStasisがどれくらいのパーセントで起こっているかということを調べて見ました。そのため、ある期間、Tl、T2以外の進んだ癌に対しては、全例予防的郭清術を行って郭清組織を組織学的にしらべてみました。そうするとl00例中23例、大体20%以上にlatentのリンパ節転移があるのを発見したのであります。このような非常に初期のリンパ節転移というのはRandsinus(辺縁洞)といってリンパ節の被膜のすぐ内側の辺縁洞に起こるのでありまして節内の他のリンパ組織には一つも変化がございません。 こういうlatentのmetastasisの起こっているリンパ節をもしとらないで放っておくと、将来必ずこれが再発して来るわけであります。即ちもし prophylactic neck dissectionをやらなかったら、大体20%前後は再発するはずであります。ですから私はその頃は、 とにかくT3以上の進行した癌には予防的郭清術をやることによって、ある程度再発を抑えることができるということを強調したのであります。
ところで明らかにリンパ節転移が触れる場合、この触れるリンパ節だけを取るのは全く無意味であるのであります。というのは大きなリンパ節転移がある場合には組織学的にはこれに連なる第2次、第3次リンパ節にも転移しているし、また癌がリンパ節の被膜を破って周囲の脂肪組織とか筋肉に浸潤している場合もあるし、血管やリンパ管にも入っているのであります。ですからどうしてもこの頸部郭清術という方法でやらないと助けられないということになります。
ただ、この場合問題になるのは、内頸静脈を両側切除しなければならないようなときであります。これは非常に問題でありまして、両側とも同時に切除してしまいますと、まれには脳出血を起こしたり、あるいは脳圧克進、あるいは網膜出血、顔面の浮腫と、いろいろな障害を起こします。ですから両側の内頸静脈を切除しなければならない場合には、少なくとも2、3週間の間隔を置いて手術しなければならないのであります。
そういうふうなことで、頸部郭清術をやることによって、頸リンパ節再発はある程度防げるという結論に達したわけであります。
次に、気管断端の再発でございますが、これは下咽頭癌あるいは声門下部に進展した癌の場合に起こるのであります。非常に予後が悪くて起こったらたいてい助からないのであります。さっきお見せした気管の穴の周囲がはれてきます。なぜ声門下部に進展した癌の場合に起こるかというと、 リンパ管を見ればわかるように、声門下部のリンパ管は喉頭前リンパ節すなわち甲状軟骨と輪状軟骨の間にあるリンパ節および更に下に下がって気管前リンパ節、あるいは直接傍気管リンパ節に連絡し、そこから頸リンパ節に連絡しているわけであります。ですから、声門下部に癌が進んでいるょうな場合には、気管周囲をよく清掃するということが、この気管断端再発を防ぐ一番大きな決め手になると思うのであります。

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次に第3の再発部位である下咽頭あるいは舌根部の再発をどうして防ぐかということでございます。これは病理学的に調べてみますと、pre‐epiglottic spaceという所が非常に密接な関係を持っていることがわかりました。
このspaceは図4のように甲状舌骨膜とepiglottisの間の頂点を下に向けた三角形の部でおもに脂肪組織から成っております。epiglottisというのは板のような軟骨に見えますが、実際には裂れ目が沢山あります。epiglottisの喉頭面にもし癌ができますとこの裂れ目、穴と言っていいですが、これを通ってpre‐epiglottic spaceに癌が進入してくるのです。
ときには軟骨を破壊して、 進入することもありますし、 また軟骨の基部を迂回してpre‐epiglottic spaceに進入することもあります。とにかく声門上癌の場合は癌がpre‐epiglottic spaceに進展していることを常に念頭におかなくてはなりません。
ところが従来はこのことが分らなかったために甲状舌骨膜を切開して、下咽頭に入り喉頭摘出をやったものです。そこで私はpre‐epiglottic spaceにどれくらいのパーセントで癌が入っているかということを調べてみましたら、 大体声門上癌の70%は、 もう既にここに進展しているということがわかりました。
ですから従来行われたような甲状舌骨膜を切開する方法でいきますと、ちようど癌の中を切り開くわけで上部に癌が残され、これが舌根部や下咽頭再発の原因になるわけであります。ですから声門上癌の場合には舌骨の上から入って、舌骨を喉頭と一緒に摘出する方法を行い、 これをhyopreepiglolaryngectomy という名称で私が発表致しました。
以上の3つの点を再発予防上の重点として昭和28年10月から34年末までに手術した169例の遠隔成績を示しますと表4のように再発死亡が32例、他疾患死が9例、5年生存例が128例(76%)となり、前期よりも治癒率は向上しました。再発部位も頸リンパ節が27例、 気管断端が2例、下咽頭の再発が2例、遠隔転移が1例と、いずれの部位の再発も少なくなりました。

後期: これは35年以来今日までの期間であります。
この期には今までの治療法を180度回転させました。すなわち喉頭の機能、発声機能を保存するということを主眼とした治療をしたわけであります。その理由は、第1に全身麻酔の普及、第2はコバルト、その他放射線療法の非常な進歩、第3には喉頭顕微鏡の開発、第4には一般民衆の癌に対する認識が非常に高まりまして、喉頭癌で非常に進んだものは来なくなった。いわゆる初期癌が非常に多くなってきたからであります。
もう一つの原因は、昭和35年にパリの世界耳鼻咽喉科学会で喉頭の保存的手術法というのがsymposiumに採り上げられまして、世界各国で喉頭機能を保存する手術が盛んになったためであります。
本学におきましても、 昭和40年に藤田教授が赴任され、麻酔科が開設されまして手術が非常にやりやすくなりました。特にpartial laryngectomyみたいな複雑な手術は、全身麻酔によってやりよくなりました。以前は局所麻酔でやっていましたが喉頭を開いた瞬間にすごい咳やら、暴れるやらでとても大変でした。そういうわけで手術的には、いわゆるpartial laryngectomy(部分切除)を行って少なくとも一側の声帯を残すように心がけて、発声機能の保存に努めました。これは一に全身麻酔が行われるようになった恩恵でございます。
次に放射線療法も非常に進歩致しまして、コバルトが本学に導入されました。 昭和43年ですか、 当時日本の放射線治療では第一人者でありました田崎教授が本学に赴任してきまして、それ以来ずうっと現在まで毎週月曜日の1時半から放射線科と耳鼻科の合同コンファレンスを行いまして、治療法をいろいろ検討し、この例は放射線でやってくれ、これは手術でやってくれというように非常に密接な関係を保ってやっております。
partial laryngectomyには、 いろいろな方法がありますが、喉頭截開術、拡大喉頭截開術、前側切除術、半側切除術、声門上水平切除術等が主に行われます。このように部分切除術が麻酔のお陰で非常に容易にできるようになりました。
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次に喉頭顕微鏡の開発ですが、 これももう10年くらいになりますか、教室に入れまして、外部から切開せずに、喉頭の中から声門の癌なんかを切除し、それによって治った例もあるようになりました。
昭和35年以来このような治療法に変えまして、昭和48年3月までの例の5年生存率を出してみました。48年3月以後の症例は除外しました。171例治療したのですが、その内22例が再発、7例が他の疾患で亡くなって、5年生存例は142例(83%)という成績を挙げることができたのであります。喉頭癌は現在、日本でも外国でもそうだろうと思いますが、一流の人が治療すれば大体80%以上は治ると言えると思います。
後期治療法別の成績を見ますと、表6のように顕微鏡下の手術例は6例全部治っています。放射線をかけなくて治っております。顕微鏡下の手術と放射線療法を併用した例も100%治っております。次に成績が良いのは、コバルトの単独照射、部分切除術で、大体同じくらいに治っておりまして、喉頭全摘を行ったものが一番成績が悪く、全く予想に反した成績になっております。
喉頭全摘の成績がなぜ悪いかというと表でもおわかりのように、他の病気で死ぬ人がpartial laryngectomyやコバルト療法を行った人にくらべて非常に多いのであります。やはり肺炎になったり、肺の機能が悪いから心臓が弱くなったりするような関係があるんだと思います。
このようにして、喉頭癌の治療方針は一応確立されたと思われます。将来あるいはもっと良い方法が開発されるかもしれませんけれども、一応確立されたので、私は数年前から、喉頭の前癌性変化、並びにcarcinoma in situ(上皮内癌)について研究を始めました。これらについてはわが国ではまとまった研究が殆んどなかったのであります。


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喉頭とくに声帯に白い角化物が発生した場合、今まではロイコプラキーとか角化症とかパヒデルミーとか、いろいろな名称で呼ばれていました。しかし、 1974年の喉頭癌100年記念学会で、こういう前癌性変化はkeratosisという名称で統一しようということになりました。 keratosis には keratosis without atypiaといって異型細胞のないkeratosis、with atypiaといって異型細胞のあるkeratosisそれからcarcinoma in situ、 更に進んで microcancerというように分けようということが決まりました。
十数年前まではkeratosisというような病変は非常にまれでありまして、これが見つかったら症例報告をしたぐらいでしたが、最近はだんだん増えまして、私たちはこの10年間に80例ほど経験しております。これら80例について病変部を喉頭顕微鏡下に切除して組織学的にしらべてみました。一般に孤立性、限局性のkeratosisの組織像はkeratosis without atypia(simple keratosis)を呈し心配要らないのであります(図5)。

図6:keratosis with atypia 〈6 ROKU〉BOA SHELL STICH CARDIGAN/カーディガン

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図8は左声帯全長に亘るkeratosisです。その組織像はやはり基底層の附近に軽いatypiaが見られます。連続切片で調べてみたのですがどの部分も同じような組織像を呈し、invasive carcinomaの部は見つかりませんでした。ところが7年後の今年の2月頃、同じ患者が受診して来ました。

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その時の所見は図9のように非常に大きな白いmassが左声帯に見られました。私はこれを診て、これは怪しいなと思いましたというのは、このように瀰漫性に声帯全部が侵されているようなときは、たいていcarcinoma in situあるいはそれ以上に進んでいる場合が多いのです。これをmicrolaryngoscopy下に切除して組織学的にしらべてみましたところ、癌は基底膜を破りまして、粘膜下に浸潤しておりました。

keratosisと診断した80例を組織学的に調べてみますとkeratosis without atypia の例が49例、 with atypiaが14例、carcinoma in situが14例でありました。この内keratosis with atypiaの2例はそれぞれ6年および4年後にinvasive cancerに変化しました。またcarcinoma in situの2例もそれぞれ1年後、および3年後にinvasive carcinomaに変化したのであります。従って、keratosisとinvasive carcinomaの間にはある程度、密接な関係があるということがわかりました。carcinoma in situは表のように色々の同意語があります。

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要するに図10のように上皮の深層から表層までの全層にわたって癌細胞と同じような未分化の細胞が詰まっていて、しかも基底膜が保存されているものであります。

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keratosis with atypiaや carcinoma in situでは粘膜下の深い所の腺の排泄管に異型細胞が侵入していることが多いが、このことは非常に重要な所見でございまして、手術のときにこれを取り残さないようにしないと必ず再発してくるのであります(図11)。

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carcinoma in situの治療としては表7のように① stripping of vocal cord、 strip というのは裸にするということですね。声帯の病変部を全部むいてしまうという意味です。
② partial laryngectomy、とくに喉頭裁開術といって甲状軟骨を正中線で切開して喉頭腔を開いて病変声帯を切除する方法、
③ endolaryngeal microlaryngoscopic cordectomy、 ④ radiotherapyなどの方法があります。現在われわれが行っているのはmicrosurgeryとradiotherapyの併用法であります。

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次に一見keratosisのように見えても組織学的に見ますというと異型細胞が基底膜の一部を破って粘膜下にごく小範囲に浸潤している場合はmicrocancer、あるいはmicroinvasionと言って特別にしている人もおります(図12)。
以上お話ししたのはkeratosis、carcinoma in situが単独で喉頭に発生した場合ですが、初診時に喉頭癌(invasive carcinoma)と診断し、手術した例の組織像においてもその周辺粘膜上皮にcarcinomain situが存在する可能性が考えられるわけであります。教室の小林が喉頭癌の摘出あるいは切除標本をあらためて組織学的に調べたところでは、368例中141例、約38%は、invasive carcinomaの周辺粘膜上皮に上皮内癌を伴っているということを見つけております。このことは喉頭癌のあるものは、いわゆる多中心性に発生することを示す所見でありまして放射線療法をするにしてもpartial laryngectomyをするにしても充分注意を払う必要があるのでありまして、これをもし残せば将来、carcinomaが再発して くる可能性があるわけであります。


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もう一つ、私が行った仕事、これは私が引き受けてやった仕事なのですが、昭和35年に日本頭頸部腫瘍研究会(現頭頸部腫瘍学会)が初めてできまして、私はそれ以来、ずうっと幹事をしており、各大学病院、あるいは全国の大きな病院146施設で治療した喉頭癌を全部、私の所に登録するようにして、その登録を受け持ちました。そして10年間に6360例の喉頭癌を集めることができたのであります。その詳細については教室の藤巻が統計的観察を行って発表しておりますが、一部は私がメキシコで開かれた世界耳鼻咽喉科学会、並に1974年トロントで開かれた喉頭癌100年記念講演会で招待講演を行いました。
我が国における昭和35年以降の喉頭癌の治療法の移り変りを見ますと表8のように、やはり喉頭全摘は昭和35年私がちようど本学に転勤した年ですが、これ以来ずうっと減って来ました。それに反して部分切除術あるいは放射線療法の例がだんだん増えてきておりまして、私がさっき述べたと同じ傾向をとっているということがわかると思います。

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以上、非常に急いで話したから学生諸君に理解できたかどうか、まあ、私にとっては最終講義をするという義務があるわけですから、わかっても、わからんでも話しておかなければならなかったわけです。ただ、私の今までの経験から言いますと、やはり何でもいいから何か一つ仕事をするということ、その仕事を本当にやり出せば、だんだんそれに枝が伸びて行き、根が張って広がっていき、そうして遂には花が咲いて実を結ぶ、というようになると思うのです。ですから、学生諸君も何でもいいから一つぐらい人の前で誇れるような仕事、あるいは素養でもいい、何でもいいけれどもそういうものを身に付けて頂きたいということが私の願いでございます。
学生ばかりでなくて、遠方から随分多くの方々が見えられておりますが、どうも長い間御静聴ありがとうございました。これで終わります。

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